あるSEとゲーマーの四方山話 [RSS]

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. このエントリはコメント不可
  2. | このエントリはトラックバック不可
  3. --/--/--
  4. このエントリーを含むはてなブックマーク

人は年を取るほどに、なぜ学べなくなっていくのか?

かえるの開発工房 - 学ぶ人と学ばない人の4つの違い

だが、他の人にはこのようなことを見つける事が少ない。自分の進むべきベクトルが定まっていない人が多いと感じる。一環とした行動、思考原則を持っていない(又は認識していない)ことが多いと思う。それを意識して、さらに自己更新している人はめったにいない。

現実を見ないで(その事をメタ認識しないで)自分の都合のいい妄想の世界で生きている人の多いことか。


現実を見る力というものが、いかに獲得する事が難しいかという事を、私は知っている。都合のいい物語が、いかに欲望に願望に沿った甘い毒薬みたいなものであるかを知っている。私はこの世界を変える力は持っていない。持っているのは、自分自身を変える力と世界の見方を変える力だ。


私は、学習というものが、学ぶ内容そのものよりも、学ぶための姿勢にほとんどの成果が決まってしまう事を知った。


学びたいと思う者は、何のために学ぶのかを考え、対象を学びつつ、学び方自体も改良していく。そして、前よりも効率のいい、より洗練された学び方を学び、対象を吸収する。


自分の学習エンジンを1から作る事だ。がむしゃらに、何かに取り組んでひとつの事を深い位置まで学んでみる事だ。そこまで学んでからでも、世界が生きるくらいの価値が有るかどうかを決めるのを遅らせても問題ないだろう。一度自己更新する学習エンジンを作ってしまえばこちらのものだ。自動で、全ての認識から学習できるものを拾ってくれる。


学ぼうとしない者はどんなものを目の前にしても、何も学習しない。学ぼうと願うものは、何を見ても学習が可能だ。


<てるや>
ブログを初めて約2ヶ月。
そのとんでもない情報量から得られる事が多すぎて、
ブログ最高!!」いや「ネットブラボー!!(インターネットのブラジャードロボー)」
とか思ってたんだけど、かならずしもみんながみんな
ブラジャードロボーしてるわけじゃないみたい。

ネットに限らないんだけど、同じ物をみて学ぶ人、学ばない人
気づく人、気づかない人、、この学習のスピード差はどこにあるのだろう?

逆に考えてみよう。
「なぜ学べないのか? なぜ気づかないのか?」


たぶんこういうことじゃないだろうか?
「何かにこだわると、学習スピードが極端に落ちる」

普通、人は細かい事にこだわる。
趣味、嗜好、美醜、コレクション、性格の好き嫌い、物の考え方、いろいろあるんだけど、
こういったこだわりをかなりの量でもってる。

今まで生きてきて、たくさんの物を学び、経験してきたので
それにそったこだわりになる。

で、積み上げたその「こだわり」は自分では否定できないし
他人にも絶対否定してもらいたくない。
ここが人としての学びの限界。

「こだわり」に少しでも反するものは、どんな意見も学習も受け入れられなくなる。
「バカの壁」とも言われる奴だ。
子供が間違いを指摘されても、逆に意固地になってずっとそれをやり続けるさまと同じ。

受け入れられるものは、あくまで自分の「こだわり」に沿ったものでないといけない。
もう、その方向でしか成長はできない。
一方向から学べる物は限られてくる。

例えば歌手になりたい青年がいたとして、彼のこだわりが
「俺は歌がうまい。俺のこだわりの歌を路上で歌い続けよう。
今は貧乏でもきっといつかみんなにわかってもらえて成功する。」

としましょう。もちろんそれは奇跡の確率です。

彼が成功を目指すならこだわりを捨て、たくさんの物を学ばなければいけません。
「ボイストレーニングに通い、声量を上げる」
「より人の集まるところで歌う」
「歌詞と曲に、どんな感情をどこにどれだけの強さで歌うか考える」
「ボイスにゆらぎを加える。多重録音でも、ユニットを組むのでも」
「どうしても自分に足りない物を補ってくれる仲間を見つける」
「できるだけたくさんの人が共感する時代にあったワードを組み込む」
「曲調を、過去のヒット曲から大きく外さない」
「または極端に大きく外す」
「物語とシンクロするよう、タイアップのうまい名プロデューサーと組む(売れ始めてからでも)」
「耳に残るフレーズを産み出す」
「曲のレベルが高すぎないよう、大衆にわかるぐらいレベルを落とす」
「歌詞のわからない英語、難しい言葉ばかりつかわず、みんなにわかる歌詞を使う」
「逆に格調の高い、大衆が分かるか分からないかぐらいの一つ上の単語(英語)を組み込む」
歌手じゃないのでパッと思いつくのはこんなものですが、
他にも学ぶことは終わりがないほどたくさんあるでしょう。
なにもこういったことを全部守れというわけじゃなく、
いかに「本当にこだわりたいところ」だけを貫いて、うまい落しどころを見つけるか。。
「こだわり」たいがために「こだわり」を捨てていろんな物を受け入れ、学ばないといけないわけです。
もちろん、「そんなことまででして成功なんてしたくない。貧乏でも俺はストリートで叫び続ける」
というのでもかまいません。


そして、物事は決して「善悪」や「正しい、間違い」では片付けられない。
そういうのは、あくまで人間として都合よくいきるためのルールである「倫理や法律」と、
資本主義社会としての「お金」
この2つを全ての判断の物差しとして使うから
そこに「善悪」や「正しい、間違い」が生まれるのだけど
この2つがなければ、どんなことでも「正しい」どんなことも「間違い」だ。
見方によって、どんなことも「善く」みえるしどんなことも「悪く」みえる。

例えば善悪や、正しい、間違いの判断をするためには、
そもそもものごとに「意味」がないといけないんだけど、
「人間の生きてる意味は?」と聞かれて、
宇宙規模で万人が納得できる答えを出せる、意味づけを出来る人はいないわけで、
結局、「倫理」と「お金」に基準を頼らざるを得ない。

で、その2つを基準に、「こだわり」という経験を重ねていくと
それに反した学べない物のほうが多くなり、学習スピードはどんどん落ちていく。
だから年を取るほど頑固になる。
だから年が若いほど、学びが早い。

1日に10万個の脳細胞が死滅し、
100年で3億6000万個が死滅。
1兆の脳細胞のうち死滅する3億6000万個というのは約0.3%。
自然になくなるのはたったそれだけ。
脳が衰えるのは使わないから。生きていくうえで使う必要がほとんどないからです。

またやっかいなのは、「倫理(わかりやすくここからは正義と呼ぶ)」と「お金」の基準が
全然一致しないところ。

「正義」と「お金」の基準が違い、個人個人でそのバランスも違う。
その上での「こだわり」なのだから、
あちこちで人は衝突するし
相手を理解できないし、
学ぶ事もできなくなっていく。
人として生まれ、人として育つからにはそうなるのも当然の結果といえる。

「こだわり」とは、自分が考えたと思い込んでるアイディア、
そして自分と似たような共感できる発想。
それは幾多の経験と学習をコピーして積み重ねてきたからでてきたもの、
まさに「こだわり」は自分自身そのものともいえる。
それを否定される、また否定するなんてとんでもないww
だから、それにちょっとでも合わない物は受け付けない、学ばない。
小さな事で夫婦喧嘩だって、自分の子供とだってケンカするさねw

「こだわり」は否定できない。
じゃあ、否定しないままどうやって「こだわり」の外にあるものを学ぶか?

これは結構簡単なことで、
「こだわり」もそれに反する物も
「どっちも正しい」として考えると、
「こだわり」の対になるものを受け入れやすく、学べるようになる。

「どっちが正しいか?」じゃなくて「どっちも正しい」
そう考えると、問題の解決方法が見えてくる。
他人とぶつかる必要もなくなる。

自分も相手も正しいとすると、相手がこだわる利点も見えてくる。
どっちも正しいとした場合、お互いの利点を満たす第3の解決案がでてくる。
それはつまり自分の「こだわり」に反する物を自分に吸収できたということ。

仮に最初のうちはそんな案が出てこなかったとしても
そもそも、そんなにこだわる必要があるものなんて多くないはずだ。
相手の利点がわかれば、小さなこだわりで自分を通す必要もないかもしれない。
そんなことにエネルギーを使うよりは、ほんとに大事なこだわりだけに集中したほうがいい。

「何事にもこだわらない事」
といえばまあ、無我の境地みたいなもんだけどw
人間なんだから、いろいろ欲望があっていいでしょう。
でも、ほんとに大事なところだけこだわって、あとはたいしてこだわらない。
客観的にどっちも正しいと見てたら、問題が問題じゃなくなるし
どっちも納得いく良案が浮かぶでしょう。

とすれば、自分の「こだわり」の反対意見。
そういうのをどんどん認めて、反対意見を自分のこだわりとぶつからないように、
自分の考えとして当てはめていく。
パズルのピースのように。

僕はこれを
「相手の背景哲学を自分の脳にコピーしていく」
(脳:Brainドロボー>ぶらいんどろぼー>ブラドロ>ブラジャードロボー)
という風な表現で使ってますが。(つかってねーよw)
理解できない考え、解決できてないものほど、勉強になります。
(理解できないだろうなあww)
今理解できない物が、ちょうど今学んで取り入れるべき最適なものなのかもしれません。
(つまり世の中はブラジャーで説明できるということ)
相手の理解できない考えを、自分の「こだわり」にぶつからないように
うまくコピーできたときは、ほんとに脳が活性化します。
頭が熱くなって、シナプスがガンガン繋がっていってるのかもしれません。

何事も「こだわらず」、「どっちも正しい」として受け入れていく。
正しいと思えば、相手の視点で考えれます。
相手が何を考えてるのかわかるようになります。
そういうこと繰り返していったら、相手の視点からお互いが得をするような案も出てきます。
くだらないことはどっちも正しいのだから妥協しても良いと思えます。
世の中のいろんなことに気づき始めます。
木の枝のように全方位に思考と学びを広げれます。
年取っていくほど、たくさんの事から、たくさんの物に気づくようになります。
大きな衝突もしなくなるし、妥協して回避できるから、他人に優しくなれます。
良案が浮かびやすくなるから、ビジネスも、プライベートも強くなります。
脳のシナプスがどんどんつながっていくからいつまでもボケません。

これは何も「他人を肯定して、他人のいいなりになって、なんでもハイハイ言うことを聞く」
わけじゃありません。
諦める物分りのよさとはまったく逆。
「自分の欲望おもむくままに、一番大きい物を取りに行く」
「ただし、他人の邪魔をせずぶつからないように」
です。
ぶつかると自分が傷つきますからw

こだわりがあると、一方向にしか進めず、ぶつかります。
他人も、一方向の壁は分厚く強いです。
これが、こだわらず360度、全方位に考えを広げる
隙間はたくさんあります。
ぶつからなくていいようになります。
むしろ協力してより大きな物を狙えるようになります。

最初はこだわりの一方向しか進めないでしょう。
でも、自分の脳にたくさんの考え方、知識、言語、経験、
そういうのを、本でも、旅でも、インターネットでも、仕事でもいいから
どんどん自分にない新しい物をコピーしていったら考える方向は無数に広がります。

自分の「こだわり」に新しい物がコピーして足されたら、そこからさらに新しい物がうまれる。
生命の進化、
技術の発展、
文化芸術の創作、
インターネットの広がり、
みんな同じ原理で動いてるのです。

逆も真なりという意味では、
「今の日本は何も学ばなくても、例えボケてしまってもちゃんと生きていけるほど
平和で安全な国だから頑固一徹で何も学ばないでも大丈夫ですよ」

ともいえます。(ほんとかよw)

まあなんにせよこんなブラジャードロボーの言う事を真に受けてたら
頭おかしいとかいわれますけどね(o ̄∇ ̄)o
(ブラ? トッテナイヨ?)

関連記事:
35歳でもボケずに若い人を超える脳を作るためには? - あるSEとゲーマーの四方山話
  1. コメントを書く(1)
  2. トラックバック(0)
  3. 2007/03/09
  4. このエントリーを含むはてなブックマーク

<<「ハゲタカ」第三話、「終わりなき入札」 | ブログトップに戻る| 雨格子の館に入館しました♪>>

コメント

<たっく> 

こだわりは大事。 でも他を排除してしまうほどは問題だよね。
  1. #2NZBXl8Y
  2. [編集] |
  3. 2007/03/10
なまえ:


コメント:

※スパム対策用に英数字のみのコメントをブロックしてます。

: 後で編集・削除用パスワード(設定しなくてもOK)



トラックバックURL: http://finalf12.blog82.fc2.com/tb.php/342-0f2d114e


※スパム対策用に、言及リンクのないトラックバック、英数字のみのトラックバックを制限しています。

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

 更新停止。

 <てるやん>(ゲーマー)
 teruyastarはかく語りき
(てるやんの移転先)


 <たっく>(SE)

過去ログ






上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。